【総評】『マンダロリアン』シーズン3はファンを裏切ったか?ディンの物語の「完結」がもたらした「不評」と「転換」

2023/04/21

マンダロリアン レビュー

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ドラマ『マンダロリアン』シーズン3が完結した。大人気ドラマ・シリーズの最新作だったが、視聴者からの評価は伸び悩んだ。記事執筆時点で、IMDbのユーザー評価の平均は、シーズン3が7.8点(10点満点)。シーズン1の8.5点、シーズン2の8.8点から大きく評価を落とすことになった。

ユーザー評価だけですべてを判断する必要はないが、「不評」であった原因について、考察する余地もある。その裏には、いくつかの問題点があり、そしてシリーズの「完結」と「転換」があった。これらは、今後の展開を予想するヒントになる。

今回の記事ではシーズン全体の構成を振り返りつつ、不評の原因とシリーズの完結・転換、今後の展望について考察していく。途中までは批判的になってはいるが、最終的には肯定的に捉えている。なお、普段のレビューはこんなに辛口ではなく、絶賛しているので、そちらも過去記事から確認してもらいたい。

シーズン3の今までのレビュー

ディン・ジャリンのアイデンティティ


まずシリーズ全体を分析する上で、『マンダロリアン』が主人公ディン・ジャリンのアイデンティティ構築の物語であることは押さえておきたい。シーズン1では、名前すら明かされていなかった無機質な彼が、ザ・チャイルドことグローグーと出会うことで、人間味を得ていく。シーズン2では、掟よりもグローグーを優先して「マンダロリアン」としてのアイデンティティを捨てる姿と、その上で「保護者」としてのアイデンティティすら失った姿が描かれた。ここで、ディンは、完全な抜け殻となる。

だが、『ボバ・フェット』にゲスト出演したディンは、グローグーを取り戻し、再び「保護者」となった。これもこれで賛否両論あるが、依然として「マンダロリアン」としてのアイデンティティは失っていた。彼のアイデンティティを巡る葛藤は続いていた。

シーズン3は、ディン・ジャリンが、マンダロリアンとしてのアイデンティティを取り戻すことを目的にスタートする。第一話「背教者」では、神聖なる泉に浸かるという目標が掲げられた。しかし、ことはそう上手く運ぶはずもない。「保護者」を優先して、「マンダロリアン」を捨てた彼が、両方のアイデンティティを維持できるはずがないのだ。と思いきや、第二話「マンダロアの鉱山」でディンは泉に浸かり、再び「マンダロリアン」になる。はっきり言って、拍子抜けの展開だった。「マンダロリアン」が何かと問うこともなく、ただ漠然と「マンダロリアン」に戻ったディン。両方を手に入れたディンのアイデンティティ構築の物語は完了している。以降は、彼の物語として展開しない。

第四話「孤児」では、仲間を救うために命を賭ける。第五話「海賊」では、旧友を助けるために、仲間を説得する。第六話「傭兵」では、ボ=カターンを手助けする。どれも「マンダロリアンの掟」と説明はできるものの、必然性を感じない。最終話の第八話「帰還」では、グローグーの「親」としてのアイデンティティ、「マンダロリアン」としてのアイデンティティの両方を手に入れ、故郷を離れて悠々自適な生活を手に入れる。

ディンが仲間思いな性格であることは重々承知している。しかし、『マンダロリアン』シーズン3をディン・ジャリン(とグローグー)のアイデンティティの物語として捉えると、軸がぶれているのも事実なのだ。両方のアイデンティティを手に入れました、めでたしめでたし。そんな甘い終わりが許されるならば、今までの物語はなんだったのか

と、ここまで完全に批判になっているが、安心してほしい。それだけで本作が不評なんだ、駄作なんだと締めくくるつもりはない。この物語は、つまるところディン・ジャリンだけの物語ではないのだ。これこそが、「転換」だ。

ボ=カターンとマンダロリアン


主人公ディン・ジャリンと同じくらい、いやそれ以上のスポットライトが当たっていたメインヒロインは、ボ=カターン・クライズだ。シーズン2にも登場した彼女は、マンダロアの復興を目指すリーダーだ。彼女は、アニメ『クローン・ウォーズ』やアニメ『反乱者たち』で内戦を経験し、リーダーとなったキャラだ。

ボ=カターンは、第一話「背教者」では引きこもり状態にあった。理由は、シーズン2の最後に、ディン・ジャリンに指導者の象徴であるダークセーバーを奪われたから。再びセーバーを手にするためには決闘で手に入れる必要があった。しかし、内戦を経験してきたボ=カターンは、内輪もめを嫌った。手詰まりに陥った彼女の下を仲間たちは離れ、行動も起こせなくなっていた。しかし、第二話「マンダロアの鉱山」では、ディンを助けるために動く。そして、第三話「改心」で、我が家が破壊されたことで、彼女はチルドレン・オブ・ザ・ウォッチの元へ避難することを余儀なくされる。

チルドレン・オブ・ザ・ウォッチをカルトだと嫌っていたボ=カターンだが、仲間として受け入れられて悪い気はしなかった。第四話「孤児」で活躍したことで完全に認められ、第五話「海賊」では、もはや「我らの道」の掟を受け入れ、仲間になる気満々だった。だが、アーマラーに諭される。「今こそ、二つの道を結集するときだ!」。

ボ=カターンも、心のどこかでは、それが正しいと分かっていたのだろう。アーマラーのアドバイスに従い、第六話「傭兵」では、離れていった仲間の元を訪れ、決闘で艦隊と仲間を取り戻す。(あれ?それが出来るなら、ダークセーバーでも同じことをするべきじゃないか・・・?)結局、ダークセーバーは、ディンから譲り渡された。その時にディンは、第二話で助けられたことを理由に渡したが、その本心は第七話「スパイ」で明かされる。ディンは、ボ=カターンの人柄を高く評価したからこそ、彼女が指導者にふさわしいと考えていた。

ボ=カターンは、内戦を経験したこともあり、同胞思いの人物になっている。多少の知り合いであるディンも、接点がほぼないチルドレン・オブ・ザ・ウォッチの子どもも、命を賭けて助けようとする。そして、「我らの道」という「教義」にも意味を見出している。「血筋」こそマンダロリアンだと考えているアックス・ウォーヴスら主流派とは違い、柔軟な考えを持っている。「血筋」と「教義」、二つの道をつなぐ架け橋になれる。

第八話「帰還」では、指導者の象徴だったダークセーバーはギデオンに破壊される。だが、ボ=カターンはリーダーに留まれた。それは、ボ=カターンが変わることができたからだ。ダークセーバーという権威に頼った統治をしようとしていた彼女は、相手を尊重し、共生することを学んだ。だからこそ、アーマラーと共に、両派閥を率いるリーダーになれた。二人で鍛冶場に点火する最後の場面は、共生というテーマが際立つ。こうしてマンダロリアンは団結したのだ!よかったよかった。

・・・と、ドラマだけを評価するなら思える。だが、アニメ『クローン・ウォーズ』とアニメ『反乱者たち』を見ていたら、そんなやさしい評価はできない

『クローン・ウォーズ』にて。ボ=カターンは、過激派のデス・ウォッチとして、姉のサティーン・クライズ率いる新マンダロリアンの統治を覆そうと、内戦を起こした。『反乱者たち』にて。主流派の中核メンバーとして、帝国派のマンダロリアンと血みどろの内戦を繰り広げた。この新マンダロリアンと、帝国派(元モール派)は何処に行ったのだ?彼女が今まで殺してきた同胞を無視して、マンダロリアンが団結したことにしていいのか?彼らを絡めずに、マンダロリアンの「団結」として、終わらせていいのか?

もちろん、前述したように、ボ=カターンは内戦の反省を踏まえたキャラになっていた。そして相手を尊重し、共生するという姿勢は、今後他のマンダロリアンの派閥に当てはめられることもわかる。だが、考えれば、考えるほど問題を無理やり無かったことに、単純化された感が否めない。アニメまで追うようなファンだけが気にするような細かい描写かもしれないが、そういう熱心なファンを置いてけぼりにしている。

また批判になってしまったが、もう少し読み進めて欲しい。最終的には「転換」への肯定的な分析をする。その前に、ここまで描いてきてほとんど触れていないテーマを考察しよう。

新共和国


本作には、第三のテーマがあった。それは、新共和国と帝国残党の戦争だ。 第三話「改心」では、ディンやボ=カターンではなく、イライア・ケインとパーシング博士という新共和国内の二人が、主人公になる。描かれるのは、新共和国の深刻な状況だ。

新共和国では、帝国の元軍人たちに恩赦を与え、再活躍の機会を与えていた。こう書くと、聞こえはいいが、実態は半ば強引な「再教育」であった。元軍人は、移動の自由も、職業選択の自由もなく、定期的なカウンセリングでは思想を問われ、「正解」以外の答えを許されない。果ては、洗脳装置による「緩和」だ。

そんな状況で、元軍人たちは思う。「帝国も悪い所ばかりじゃなかったよな」「良いところは活用していくべきだ」。帝国の一部を肯定する考えは、やがてもっと多くの部分を肯定するようになる。第七話「スパイ」では、帝国残党を陰から統治するシャドー評議会が、その流れを敏感に嗅ぎつけていることがうかがえる。彼らは、自分たちが立ち上がれば、再び多くの人が帝国に従うと考えていた。

これらの描写は、新共和国の没落と、ファースト・オーダーの台頭を描くうえで必要な描写ではあった。だが、『マンダロリアン』で必要だったかのか大勢のファンが疑問視した。第三話で描かれた新共和国の問題点や、第六話「傭兵」で描かれた「新共和国外で存在する理想郷」の描写は、いずれもマンダロアの今後に関わるものではあった。それでも、そのわずかな繋がりだけでファンを説得できたとは言えない。実際にこの二話は、どちらもユーザー評価が7.0点以下というシリーズでもとびぬけた低評価にとどまっている。

さらに言えば、最後まで見ても、新共和国や帝国残党の話と、マンダロアに強い繋がりは見いだせない。モフ・ギデオンの野望は、帝国残党のものというよりも、彼個人の野望だった。故郷を取り戻し、「団結して強くなったマンダロリアン」は、新共和国の問題に巻き込まれずとも生きていけそうだ。そしてなにより、大団円が強調されたため、新共和国が抱えている問題が、今後マンダロアに繋がると思いにくい。

新共和国についての描写は、たびたび「脇道に逸れている」という批判にさらされることになった。そして、その批判は、正当なものであったように思われる。だが、制作陣には、明確な意図があったはずだ。批判を覚悟したうえで、この道を選んだのだ。

シリーズの「完結」と「転換」、今後の展望

まとめると、制作陣は、ディン・ジャリンのアイデンティティの物語を捨て去り、マンダロリアン関連の物語を急いで畳み、新共和国の物語をねじ込んだ。結果、本シーズンの評判は落ちることになった。ファンが求めていた物語は、西部劇的、子連れ狼的な物語であり、その期待を裏切った。だが、制作陣はこの痛みを許容した。


そして、覚悟の上でディン・ジャリンと、彼が属するマンダロリアンを描いてきた『マンダロリアン』の物語を終わらせた。ディンは「親」と「マンダロリアン」という二つのアイデンティティを手に入れた。マンダロリアンも故郷を取り戻し、団結した。故郷へ錦を飾るおとぎ話のエンディング「帰還」が描かれた。このシーズン3の後に、描くべき彼らの物語はない。完全なる完結であるから、アイリス・アウトを使用し、ポストクレジットシーンもなかった。

では、なぜ終わらせようとしたのか。それは、シリーズを新たな方向へと転換させるためだろう。マンダロリアン・シリーズは、今後『アソーカ』や『スケルトン・クルー』の展開を経て、デイヴ・フィローニが監督する「新作スター・ウォーズ映画」で完結する。そして、フィローニはこの映画で、新共和国と帝国残党の戦争が描かれることを明かし、同作を「マンダロリアンのフィナーレではなく、新共和国時代のフィナーレ」と呼ぶべきだと語っている。今後のマンダロリアン・シリーズは、もはやディンやマンダロリアンの物語ではないのだ。そのために、貴重な時間を割いて、新共和国の描写を取り入れた

マンダロリアン・シリーズが新共和国時代を描く物語であることは、二年前に配信された『ボバ・フェット』で示されるはずであった。しかし、制作陣はディンとグローグーという絶対的なカードに頼り、小手先の評価を得ると同時に、ドラマの軸を失った。だが、ようやくこのシーズン3では、ディンやマンダロリアンと決別していくという姿勢を見せた。

まとめ

シーズン3は、軸が見えなかった。ディンの物語、マンダロリアンの物語、新共和国の物語が混在することで、それぞれが中途半端に見えた。そして、ディンの物語、マンダロリアンの物語はやや強引に完結を迎えた。粗が目立ち、ファンからの評判は下がった。

だが、これは「裏切り」ではない。マンダロリアン・シリーズを映画に向けて急加速させていくためには必要な犠牲であったことは間違いない(ただし、急加速すべきだったかについては疑問が残る)。散々批判してきたが、『マンダロリアン』シーズン3は、今までのディン中心の物語の完結新共和国の物語への転換の両方を行った作品として、その志を評価している。

少なくとも、シリーズの転換点であった『マンダロリアン』シーズン3の最終的な評価を現時点で下すことは、正しくないだろう。世界最大のSF作品であるスター・ウォーズは、常に作品を生み出し続け、作品のあり方や見方が変わっていく。現在、過渡期にあるマンダロリアン・シリーズも気長な目で見ようではないか。もちろん、散々批判してきた私も、これが最終的な評価だとは思っていない。そして、私は普段のレビューでは基本的に褒めているので、そちらも確認してもらいたい。

シーズン3の今までのレビュー



筆者:ジェイK(@StarWarsRenmei
画像は、『マンダロリアン』シーズン3(2023年、ルーカスフィルム)より。ユーザー評価は、記事執筆時点。

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