現代のおとぎ話を破壊した『最後のジェダイ』に見る、現代への警鐘とルーカス哲学の継承

2023/08/14

映画 論考&解説

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スター・ウォーズ映画史上最大の「問題作」と言えばシークエル三部作の二作目『エピソード8/最後のジェダイ』だ。映画評論サイトの「Rotten Tomatoes」によれば、観客の58%が本作を低評価している。一方で、批評家の91%は高評価であり、彼らにとっては語るに値する作品だ。

「ルークはこんなことをしない」、「逆張りしかしていない」、と直情的に本作を批判するのも良いだろう。だが、そんな批判も、本作のテーマとして既に消化されている。そのことに気付かずに作品の本質が見えなくなるのは、非常にもったいない。『最後のジェダイ』とは、現代社会の潮流を反映しつつ、スター・ウォーズという「現代のおとぎ話」を捉え直した作品なのだ。今後も続いていくスター・ウォーズシリーズにおいて、本作のテーマは大きな意味を持つだろう。

この論考では、『最後のジェダイ』と「おとぎ話」の関係に着目し、『最後のジェダイ』がいかに「おとぎ話」を批判し、そして再提示したか。現代社会のどのような事象を反映し、ルーカスの意志を継承したかを書いていく。

論旨

スター・ウォーズは「現代のおとぎ話」であり、若者を勇気づけてきた。劇中の主人公もおとぎ話に憧れて冒険を開始し、おとぎ話の正の力が描かれてきた。しかし、『エピソード8 最後のジェダイ』は、スター・ウォーズのおとぎ話としての地位を揺るがす物語だった。ルークの「英雄像」は破壊され、ストーリーラインも、レイ、ポー、フィンが抱き、観客が想定したような「おとぎ話」のように進まない。彼らが「真実」だと思っていたことが否定される。

これらの描写は、おとぎ話が「虚構(フィクション)」に過ぎないと強調した。「現実」には混じりっ気のない英雄や決まりきった筋書きなど存在しない。だが、我々の生きる現代のポスト真実の時代では、虚構を現実だと信じる人々が蔓延り、埋めることの出来ない溝が生まれている。『最後のジェダイ』は、虚構を虚構だと突きつけることで、そんな現代社会を痛烈に批判した。

一方で、『最後のジェダイ』は、ただ単純にスター・ウォーズというおとぎ話を破壊したわけではなく、再提示を試みた。ルークは自らの不完全さを自覚しながら、再びおとぎ話の英雄を選び、次世代の子供たちを鼓舞する道を選ぶ。スター・ウォーズというおとぎ話はそれ自体が虚構であるが、虚構には虚構の役割がある。そして、現代社会の構成員である大人は、おとぎ話が虚構であることを受け止めた上で、混沌とした現実に立ち向かわなくてはならない。それこそが、若者を勇気づけるためにスター・ウォーズという現代のおとぎ話を作ったルーカスの意志を受け継いだ姿勢だ。

スター・ウォーズという現代のおとぎ話

まず、スター・ウォーズというフィクションが「現代のおとぎ話」である話から始めよう。それは、本作が「むかし、むかし」から始まることでも明示されている。おとぎ話学の権威であり、スター・ウォーズに多大な影響を与えたジョーゼフ・キャンベルは、著書『千の顔を持つ英雄』で、コウノトリが子供を運んでくるという話を例に出し、「真実に衣を着せて子供たちに伝える物語」をおとぎ話だと述べていた。その点からも、現代社会を反映したスター・ウォーズはおとぎ話であると言えるだろう[1]。

ルーカス曰く「スター・ウォーズは、おとぎ話を聞かされずに育った世代のための映画」で、「12歳の君のための映画」だ[2][3]。本作を作り始めたときの心構えについて、彼はこう振り返っている。「興味深く真面目なもの、人間性を考える映画を作るのではなく、若者が夢を見られて楽しい気分になれる映画を作ることに意味があると決心した。それが出発点だった。そういう映画が増えれば、若者は前向きになり、もっと生産的な人生を送れるはずだ」[4]。ルーカスは、スター・ウォーズという虚構(フィクション)の物語を、今の若者の心の拠り所となる「現代のおとぎ話」としたかったのだ。

劇中でも、しばしばスター・ウォーズの出来事はおとぎ話として扱われる。ルークは「ある視点からの真実」であるヴェイダーが父を殺した話を、アナキンは「ジェダイは誰にも殺せない」という物語を、レイはルークの英雄譚をそれぞれ聞いて冒険へと胸を躍らせる。これらの物語は「真実に衣を着せたもの」である。観客のみならず主人公たちも、虚構の物語であるおとぎ話に勇気づけられ、新しい人生へと足を踏み入れるきっかけを得る。スター・ウォーズとは、あらゆる点において、おとぎ話を扱った作品なのだ。

真実ではないおとぎ話


だが『最後のジェダイ』は、「おとぎ話を破壊」した。それが最も顕著に表れているのは、本作のルーク像だ。ルークはレイが思ったような「おとぎ話の英雄」ではなかった。彼はレイから渡されたライトセーバーを投げ捨て、戦いに参加することを拒否する。そこには深い意味があると考え教えを乞うレイだったが、やがて事実が明かされる。ルークは、自らの行動が弟子のベン・ソロを闇に堕とした現実から逃げていただけなのだ。弱い人間に過ぎなかったルークに、レイはショックを受ける。なぜなら、彼女は虚構の物語であるおとぎ話を絶対的な真実だと思い込んでいたからだ。レイにとって、「おとぎ話」の破壊とは、自らの信じていた「真実」の破壊であった

この主観的な「真実」の破壊というテーマは劇中で何度も繰り返される。自らのアイデアこそ正しく、ホルドは無能だと信じていたポー。しかし、彼女には彼女の策があり、ポーの行動は計画の露呈を招く結果に終わった。ポーの確信は「間違い」だった。レジスタンスが善で、ファースト・オーダーが悪という善悪二元論が成り立つと考えていたフィン。だが、DJは実際の戦争では両陣営とも武器商人に寄与していることを指摘する。フィンの信念は「嘘」が混じっていた。特別な存在の自分を両親は愛し隠し守り抜いたと思いこんでいたレイ。だが、カイロ・レンは酒代のために売られた事実を突きつけ、「この物語にお前の居場所はない」と言い放つ。レイの考えは「願望」に過ぎなかったそれぞれの抱く「真実」は主観的なものに過ぎなかったことと、その思い込みによる失敗が描かれる。

そして本作は、ただ「真実」の不確かさを指摘しているだけではない。三人が、主観的な考えを真実だと思い込んだ背景も暗示されている。それは、彼らが現実を都合よく切り取った物語を夢想していたからだ。ポーなら有能な部下が作戦を成功させるドラマ、フィンなら正義の戦いを描いた戦記、レイなら自らを主役、ルークを師匠とした英雄譚。それぞれが都合の良い「おとぎ話」的な虚構の物語を作り出し、「真実」の拠り所としている。ルーク像を通じて、おとぎ話とそれに基づいた「真実」、それと対立する現実を描いているからこそ、その他の「真実」の裏にも「おとぎ話」があるというこの構図が、読み取れるようになっている。

同時に、観客にとっての「真実」も破壊されている。主人公たちに感情移入していた観客は、彼らの「真実」を信じるが、物語は、主人公たちが夢想し観客が想定した「おとぎ話」の筋書きのようには進まない(親は子供を愛するはずだという「おとぎ話」の破壊もかなり衝撃的であろう)。繰り返しになるが、「おとぎ話」が虚構に過ぎないことを示すことで、主観的な「真実」をも破壊している。「ルークはそんなことをしない」など観客の期待を裏切ったことに対する批判も、本作のテーマの中で処理されている。それらの意見は「おとぎ話」に基づく私の「真実」に反している、と主張しているだけに過ぎず、『最後のジェダイ』という作品で真っ向から批判された主張だ。主観的な「真実」の危うさと、それを支える「おとぎ話」の負の側面を描いた物語、それが本作である。

ポスト真実の現代


「おとぎ話」の負の側面は、シークエル三部作のメイン・ヴィランであり、もう一人の主人公であるカイロ・レンでも描かれていた。ご存知の通り、カイロ・レン(本名ベン・ソロ)はアナキン・スカイウォーカーの孫であり、ダース・ヴェイダーの継承者を目指す若者だ。『フォースの覚醒』で、彼はヴェイダーのようなマスクを被り、ヴェイダーのマスクに教えを乞う。だが、客観的に見ると、これは少しおかしな行為だ。ヴェイダーの最期は、光への帰還だった。

つまり、カイロ・レンも現実を受け入れていないのである。現実を都合よく切り取った「おとぎ話」によって、ヴェイダーのすべてが闇の存在だという「真実」を作り出している。主人公三人と同じ状態である(ただし、本作のカイロ・レンは現実とのすれ違いを解消できずに終わる)。彼を通じても、「おとぎ話」の負の側面は描かれていた。

カイロ・レンというキャラクター、そしてファースト・オーダーという組織は、2010年代に勃興した「ネオナチ」がモデルとなっている。『フォースの覚醒』のJJエイブラムス監督は、「アルゼンチンに逃れたナチスが再興したらどうなったのか、ヴェイダーのような人物も殉教者となったのではないか」というアイデアから着想を得たと語っている[5]。

第二次世界大戦で大量虐殺を行ったナチスは、現代社会における明確な悪だ。だが、一部の人たちは現実を切り取り、「おとぎ話」を作ることで、ナチスを肯定する「真実」を作ろうとする。アウトバーンの建設、優生思想、ユダヤ人ディープステートへの対抗・・・。その切り口や妥当性は様々だが、ナチスを正当化する人々は居る。彼らは、2010年代には大きな社会問題となっており、2015年公開の『フォースの覚醒』でも取り上げられた。

2020年代になっても、現代社会における「おとぎ話」の影響力はますます増している。情報が氾濫した今日は、ポスト真実の時代に区分される。情報を取捨選択するようになった人々は、事実よりも、聞こえが良い「フェイクニュース」を信じる。英国のEU離脱や米国大統領選挙のトランプ当選から広まった言葉だが、その傾向は加速を続け、コロナ禍におけるワクチンやマスクへの陰謀論は社会を揺るがすほどの影響力を見せた。

ただし、この「おとぎ話」の負の側面は、最近誕生したものでもない。例えば、映画『バービー』公式がキノコ雲のミームに肯定的な反応を見せた「Barbenheimer騒動」では、「原爆投下は正義だった」という一部のアメリカ人の抱く70年来の考えが露わとなった。「おとぎ話」の世界に生きる人々には、何十万人もの犠牲者を出した実際の悲劇を直視できない。そんな構図は、昔から変わらないものだ。

『最後のジェダイ』が扱い、否定した「おとぎ話」の負の側面とは現代に相応しいテーマであった。今まで見過ごされがちだった側面を、「おとぎ話」が影響力を増す今日に改めて否定することで、スター・ウォーズはより普遍的かつ現代的な作品となっている。

おとぎ話の再提示

以上のように、『最後のジェダイ』はおとぎ話の負の側面を否定したのだが、本作はそれだけでは終わらない。物語の終盤、ルークはファースト・オーダーに独りで立ち向かう。彼は、再びおとぎ話の英雄になる道を選ぶ。最後には、おとぎ話の持つ正の力に再びスポットライトが当たる

本作において、「おとぎ話」に囚われずに、物事を客観的に直視できている登場人物は二人居る。一人はルーク。もう一人はDJだ。ルークは自らへのイメージが虚構のものであり、かつ自分の行動がカイロ・レンを暗黒面へと堕とした事実に気付いている。彼は「カイロ・レンが先に攻撃してきた」という「おとぎ話」を作り出すことで自らを正当化しようとしていたが、それを信じられるほど愚かではなかった。そして、DJは戦争には明確な善悪がない現実を理解している。二人ともが主観的な「真実」に囚われない。だが、この二人は対照的な道を選ぶ。DJは戦争や現実へと関わらず、厭世家的な立場(Don’t Join)をとる。一方のルークは、おとぎ話という虚構の中へと再び身を投じていく[※1]。

虚構の物語であるおとぎ話には限界がある。ルークの弱さを目撃したレイが、英雄としてのルークを再び信じる日など来ない。現実の苛烈さにはおとぎ話だけでは立ち向かえない。ルークに見放されたと信じてしまっているカイロ・レンを英雄としてのルークが救うことは出来ない。虚構を信じる人に、別の虚構で対抗しても相手は変えられない。そして、もちろん先述したように、「おとぎ話」には大きな負の力もある。

だが、おとぎ話は子供たちには必要なのだ。まだ複雑な現実を呑み込めない子供に、正義や善の道を示すことが出来るのは、虚構のおとぎ話だ。アナキンがジェダイに憧れたように。ルークがアナキンに憧れたように。レイがルークに憧れたように。ルーカスの言葉にもあるように、「若者を前向きにする」のはおとぎ話の持つ正の力なのだ。おとぎ話によって、箒の少年をはじめとした多くの子供たちが希望を抱く

当然のごとく、最後の箒の少年とは、スター・ウォーズに憧れてきた我々観客である。スター・ウォーズを愛し、スター・ウォーズに影響されてきた自分自身を重ねることで、おとぎ話の重要性は再認識される。そして、周りの期待に応えきれずに隠遁を選んだルークとは、スター・ウォーズの売却を選んだルーカス監督であろう。この両者は一線から身を引きつつも、最後にはおとぎ話が続くことを望んだ。スター・ウォーズとルーカス監督というメタ的な視点から、本作はおとぎ話の重要性をも再提示している。

大人である観客へ

ルークがおとぎ話の英雄となっても、現実を抜本的に変えられるわけではない。だが、一度失敗してしまったルークにはそれしかできない。現実を変えられるのは新たな世代である。ルークに出来ることは新たな世代の道を守り、さらにその次の世代である子どもたちに正義の道を示すことだけだ。ヨーダが語ったように、「すべての弟子は師匠を超えていく」ものであり、引退していくルークは弟子たちを信じる。

レイはルークが英雄ではないこと、自分が何者でもない現実を受け入れた。ポーは自分がおごり高ぶっていたことに気付いた。フィンはローズの横やりによって死の意味を見つめ直した。新たな世代である三人はそれぞれ『最後のジェダイ』を通じて成長し、「おとぎ話」や「真実」ではなく、現実へ立ち向かうようになった。彼らならば、現実を変える力を持ちうるはずだ。

『最後のジェダイ』は、おとぎ話の枠にはまったような物語ではなかった。それは、大人たちをターゲットにしていたからだ。引退していくルークのような大人には、おとぎ話を守る重要性を語った。現役世代であるレイやポーやフィンのような大人には、「おとぎ話」ではなく、現実を生きるべきであることを告げた。決して、おとぎ話を全否定しただけではなかった。

最後にジョージ・ルーカス監督の言葉を紹介しよう。彼は、映画監督から引退する年になった2005年に語っていた[6]。「スター・ウォーズは、楽しむものであり、教訓を得るものだ。人生に役立つが、人生を奪われてはならないよ。この映画は、君の人生を応援するものだ。挑戦しよう。“君自身の水分農場”を離れよう。世界を変え、宇宙を救うんだ」。

スター・ウォーズは虚構である。言い換えれば虚構に過ぎない。虚構のおとぎ話から勇気を得ることはあっても、その虚構に囚われることはあってはならない。現実を直視できるようになった大人の観客は、「おとぎ話」ではなく、複雑怪奇な現実に立ち向かっていくべきなのだ。

『最後のジェダイ』は、まるでおとぎ話を破壊するかのような作品だった。だが、それは「おとぎ話」に基づく主観的な「真実」に囚われる大人へ警鐘を鳴らしたに過ぎない。ポスト真実の時代に「おとぎ話」の危険性が増している現状を反映しつつ、大人である観客に現実を見るように揺さぶった。同時に、それでもおとぎ話は、子供たちが第一歩を踏み出す勇気を与えると再提示した。おとぎ話の負の側面も、正の側面も描いた作品であった。『最後のジェダイ』は、現代のおとぎ話であるスター・ウォーズの地位を愚弄したわけではなく、その地位を確固たるものにした作品だ

筆者 ジェイK(@StarWarsRenmei

[※1]ファースト・オーダーにルークが独りで立ち向かったという物語は、正確には真実に衣を着せた虚構だ。実際に立ちふさがったのは彼の幻影であり、事実はおとぎ話のような無敵の英雄ではなかった

[1] Mythic Discovery Within the Inner Reaches of Outer Space: Joseph Campbell Meets George Lucas,2015
[3] Star Wars Celebration,2017
[4] The Making of The Empire Strikes Back,2010
[5]https://movieweb.com/star-wars-7-force-awakens-first-order-nazi/,2015
[6]スター・ウォーズ セレブレーション3,2005

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