ネタバレ有なので要注意。前提として以前の記事にも書いた通り、本作は映像体験として非常に楽しいものであり、映画館での視聴を強く勧めたい一作。初心者でも入りやすい親切な作りだ。今回のレビューではネタバレを扱う都合上、映像体験ではなく物語性とシリーズの立ち位置を中心に扱う。
本作はドラマを映画化した都合もあってか、楽しさ全振り、物語性は控えめになっている。特に、ディン・ジャリンとグローグーの親子関係のテーマは薄く見え、評価を落とす一因に。ロッタのアークは、悪い父の遺産から離脱する現代的な成長譚として面白いが、親子の物語のメインには配置されず、添え物のようにも見えてしまう。新共和国周りは薄味のようでその不穏さは今後のシリーズで拾われる可能性が大いにある。総じて、本作は映画としての物語性は控えめだが、『マンダロリアン』シリーズ、そしてスター・ウォーズ映画の再始動という文脈では無視できない作品である。
あらすじ
新共和国の依頼を受け、帝国残党狩りを続けるディン・ジャリン、通称マンダロリアンと、その弟子であり“息子”でもあるディン・グローグー。ウォード大佐が2人に命じた次なる任務は、コマンダー・コインに関する情報を得るため、ハットの双子の依頼を受けロッタ・ザ・ハットを探し出すことだった。ディン・ジャリンとグローグーは、新共和国軍のゼブとともに、シャカリで剣闘士として活動していたロッタの身柄を確保する。しかし、シャカリを支配していたジャヌ卿こそが、一行の探していたコマンダー・コインであることが判明する。ディン・ジャリンはロッタの引き渡しよりもコインの確保を優先し、任務を放棄してコインを捕らえ、ロッタを逃がした。
新共和国との約束を反故にされたハットの双子は、賞金稼ぎのエンボを雇い、ロッタとディン・ジャリンを捕らえる。グローグーとアンゼランの活躍により、ディン・ジャリンはハットの手から逃れるが、毒によって瀕死の重傷を負ってしまう。その後、グローグーの看護と奮闘によってディン・ジャリンは回復。やがて、掟を破らせたハットの双子に報復攻撃を仕掛ける。解放されたロッタ、ディン・ジャリン、グローグーは協力して、ハットの双子とエンボを倒す。一方、救援要請を受けたウォード大佐率いる新共和国軍はナル・ハッタを攻撃する。戦いの末、ディン親子は平穏を取り戻し、ロッタは新共和国に加わることとなった。
前史:スター・ウォーズ映画再始動を託された二人
「スター・ウォーズが映画館に帰ってくる」。2026年現在、あちこちで見かけるフレーズだ。本作は『スカイウォーカーの夜明け』以降、約7年ぶりとなる劇場映画である。しかし、その帰還までの道のりは前途多難だった。スター・ウォーズ映画の企画は、これまで何度も発表されてきた。2018年には『ゲーム・オブ・スローンズ』のデヴィッド・ベニオフ&D.B.ワイスが手掛ける映画シリーズが発表された。2020年にはパティ・ジェンキンス監督の『Rogue Squadron』と「ワイティティ監督作」、2023年には「チノイ監督作」「マンゴールド監督作」「フィローニ監督作」が発表された。しかし、いずれも消滅または停滞しており、公開の見通しは立っていなかった。スター・ウォーズ映画の再始動は難航していた。
それでも、ディズニーは何としてもスター・ウォーズを映画館に帰還させる必要があった。収益改善のためディズニープラスのコスト削減を迫られたディズニーにとって、スター・ウォーズというビッグコンテンツを配信のみで展開することには限界が見えていた。その中で苦肉の策として降ってわいた計画が『マンダロリアン』の映画化である。『マンダロリアン』シリーズの映画は集大成となる「フィローニ監督作」のみ発表されていたが、ディズニーは計画中だった『マンダロリアン』シーズン4を映画化することを決め、総指揮のファヴローは脚本の書き換えを行った。
「銀河の運命はこの2人に託された」という宣伝文句から想像されるほど、劇中で大きな事件が起こらないことも、こうした制作経緯を踏まえると理解しやすい。宣伝としては大きな事件を予感させたい。しかし本作は、もともとドラマのシーズン企画から出発した作品であり、劇場映画的な大事件を中心に据えた物語ではなかったのだろう。一方で、この文言はある意味で真である。ディズニーは映画館への帰還という至上命題を『マンダロリアン』シリーズのディン・ジャリンとグローグーに託した。『マンダロリアン・アンド・グローグー』の成否がスター・ウォーズ銀河というフランチャイズの運命を左右する。では、運命を託された二人について、本作はどう描き出したのだろうか。
進んでいるようで進んでいない親子の物語
劇的な事件は起こらなくとも、ディン・ジャリンとグローグーの親子の物語は進展させることができるはずだった。しかし、制約が見え隠れし『マンダロリアン・アンド・グローグー』のディン・ジャリンとグローグーのアークは中途半端な形にとどまっており、これが一部の批評家からの批判につながっている。
本作における2人のアークは、ディン・ジャリンが劇中でも語ったように、「親が子を守り、子が親を守るようになる」ことだ。すなわち、子供であるグローグーの成長である。これは「グローグーはジャリンよりも長生きする、親は子供を永遠に守れない」という副題でも強化される。ジャリンが毒に倒れた後、グローグーは敵の目からジャリンを隠し、懸命に介抱し、そして小さな冒険を経て薬まで手に入れる。グローグーに救われたジャリンは彼の成長を認め、冒頭では「ボタンには絶対に触るな」と言っていたが、最終盤ではグローグーにハイパージャンプのボタンを押させる。子供の成長を親が受け入れたという流れになっている。
一見綺麗な物語ではあるが、このテーマに最大の問題として付きまとうのは、グローグーがジャリンを守るようになる成長は、『マンダロリアン』シリーズで既に描かれてきたという事実である。シーズン1では、ジャリンがグローグーを守ることで「親子」関係が始まった。シーズン2以降、グローグーは何度もフォースでジャリンを救い、シーズン3ではIG-12を通じて自分の意思を示し、最終話ではジャリンたちを炎から守った。つまり「守られる子供が、成長して守る側にも回る」という変化は、本作以前にすでに積み重ねられている。だが、映画単体として話を成立させるために今までの積み重ねを押し出すことはできなかった。そのため、全く新しいテーマのように提示され、シリーズを追ってきた人間にとっては押さえなおしに見える。
もちろんジャリンが完全に行動不能になり、グローグーが一時的に保護者の役割を担うというのは今までにないほどの最大の危機である。しかし、それでも作劇上の都合で弱いままになっている。つまり、グローグーが喋らないことで彼自身が状況を動かしているというより、周囲の人物や状況に運ばれているように見える。ナル・ハッタにさらわれたジャリンを救う際にも、グローグーは「助けに行こう」と自分から呼びかけられない。だから、アンゼランたちについていく形に見える。エイリアンと出会ってもディン・ジャリンの窮状を自ら訴えることができない。だから、薬を渡してもらう展開は、エイリアンがエンボから事情を聞くという予想外の出来事や、ハットへの反発、グローグーの外見への同情によって偶然に成立したように見える。言葉を話し始めると「ベイビー」という大きなアイデンティティを失うため、グローグーは喋れない。だから心情と成長を完全に描写できず、その成長も弱く見える。
本作の中では、親子の物語としての成長アークの起伏は弱いものになっている。関係性を前に進めようとしていた方向性そのものが間違っていたわけではないが、その成長を描くには、シリーズ内で既に積み上げたものが大きすぎ、グローグーを「喋らないベイビー」として維持する制約も重かった。本作にはどちらかに振り切る選択肢もあった。ひとつは、物語性をさらに強め、グローグーの主体性を描き切ること。もうひとつは、親子アークを最小限に抑え、アトラクション映画を全面に押し出すこと。どちらかに振り切れば、批評の土俵も変わりより高評価を得られただろう。しかし本作は、完全なアトラクション映画にも、強い成長物語にも振り切れていない。アトラクションとしての楽しさと、一本の映画としての物語性を両立させようとした結果、本作は「進んでいるようで進んでいない親子の物語」となり、映画としての評価を落としている側面がある。
父の遺産に抗うロッタ・ザ・ハット
本作にはもう一つ親子の物語が含まれている。ロッタ・ザ・ハットと亡き父ジャバ・ザ・ハットの物語だ。映画『クローン・ウォーズ』にてジャバの息子として登場したロッタは大スクリーンに戻ってきた。再び「帰ってきたスター・ウォーズ映画」の重要人物として。銀河の片隅で起きた過去の冒険が、十数年後の別の冒険に顔を出す。その感覚こそ、スター・ウォーズが持つ連続活劇としての楽しさである。そして、ロッタのアークは現代的なテーマであり本作で最も明確な成長を担っている。
ロッタは犯罪王の父ジャバの陰に苦しめられている息子として描かれている。彼が原体験として語るのは、闘技場での思い出。はじめ悪名高きジャバの息子として激しいブーイングを受けていた。しかし、闘技場で活躍しチャンピオンになることで次第に拍手喝采を浴びるようになる。その経験があるからこそロッタは父の陰から逃れるために剣闘士として戦い続けることを選んでいた。この血筋を否定するというテーマは、ヴェイダーの陰に囚われたカイロ・レン、パルパティーン皇帝の陰に囚われたレイというシークエル三部作の主人公2人にも重なるテーマである。しかも『クローン・ウォーズ』で描かれたように、彼は実際に父ジャバに愛情を注がれた経験がある。カイロ・レンやレイが、神話的な血筋に囚われた人物だとすれば、ロッタは、より俗悪で肉体的な生々しさを伴う血筋に囚われた人物である。
剣闘士としての力で自分を証明しようとするロッタ。だから、自分自身の力で自由を得たいと願っており、デジャリック・ゲームという危険な戦いから逃げようとしない。ディン・ジャリンは「殺し合いは最後の手段だ」と諭そうとする。しかし、ロッタにとってはこれこそが自分自身を証明する最後の手段なのだろう。そんなロッタだが、ジャリンとの闘技場での戦いで残酷な真実を知る。ロッタが負けそうになった時、観客は喝采し叫ぶ。「殺せ!殺せ!」。観客の歓声はロッタに向けられたものではなかった。死のゲームという場に向けられたものであった。剣闘士として勝ち続けることは、父の陰から抜け出すことではなく、結局はハット的な俗悪な暴力の世界に自分を縛り直す行為で、ロッタ本人は認められていなかった。それに気づいたロッタは逃げ出すことを決める。
紆余曲折あって、ロッタはハットの双子に捕らえられ、拷問を受け、そして双子と対決することになる。鍛え上げられた肉体で、2人のハットと互角以上に戦い、最後は双子を池へと落とすことに成功する。父ジャバ・ザ・ハットの犯罪帝国の残滓をその手で退ける。こうしてロッタは父の陰と過去の清算を終える。彼はようやく過去のしがらみから解放され、自分の力を示せる場所を求めて新共和国に加わる。
ロッタのアークは、本作の中ではかなり自然に積み上がっている。父の名前に苦しみ、自分の力でそれを乗り越えようとし、最後にはハット的な暴力の世界そのものから離脱する。子供の成長と自立という意味では、ディン・ジャリンとグローグーの物語とも響き合う。ただし、物語全体の中では、ロッタは独立した主人公というより、「悪い父の遺産に苦しむ子供」として、ディンとグローグーの親子関係を対照的に肯定する役割に大きく寄っている。その点では、せっかく面白いアークを持ちながら、少し添え物に見えてしまうのは惜しい。そして、本作で最も明確な成長を担っているのが主役の2人ではなくロッタであることは、本作の強みであると同時に弱さでもある。
本作の中で、ロッタは剣闘士という立場を捨てたことで、父の影から離れる変化を遂げることができた。一方で、グローグーは「喋らないベイビー」に固定され続けていた。ここが、二つのアークの説得力を分けたのだろう。この点では、『クローン・ウォーズ』から大きく変化したロッタと、『マンダロリアン』シーズン1からの変化が小さいグローグー、と見ることもできる。
しかし、両者は作中のタイムラインでも、初登場してからの現実の期間でも大きく異なる。成長の幅が違うのも当然ではある。いずれディン・ジャリンを看取った後も、何百年も生き続けるグローグーに、同じく長い時間を生きるロッタという友人ができたことは、2人の人生がまだまだ続いていくことを暗に示している。ロッタの変化は、グローグーの変化の可能性を示しており、本シリーズの未来を予想させる。
新共和国時代の不穏な秩序
『マンダロリアン・アンド・グローグー』は親子の物語としては控えめで、銀河を揺るがすような大事件も起こっていないように見える。スローンやアソーカ等の『マンダロリアン』シリーズの重要キャラは登場せず、確かに大きな本筋からあえて距離を取っている。新規層には入りやすい一方で、シリーズを追ってきた観客には本筋が前に進んだ感覚が弱くなっているだろう。しかし、シリーズ全体の政治状況という意味では、見過ごせない変化も描いている。
映画だけを見ているとスルーしがちだが、ハット・カルテルの根拠地を新共和国が軍事的に叩く流れは、かなりの大事件である。ハットは銀河で広大な領域を支配してきた。映画『クローン・ウォーズ』では、ハット領域の通行権を得るためにジャバに取り入ろうと、ロッタの身柄をめぐって共和国と分離主義者が争っていた。かつて共和国はハットに頭を下げた。しかし本作の新共和国は、ハットを攻撃する側に回っている。ロッタの再登場は単なるファンサービスではなく、この変化を暗に示す役割も担っている。
もちろんハットは善良な独立勢力ではなく巨大犯罪カルテルだ。しかし、相手が犯罪組織であれば、管轄外の領域で主要人物をまとめて攻撃してよいのか。ジャヌ・コインが「ここは新共和国の管轄外だ」と語る場面も、その危うさをかなり露骨に示している。冒頭の夕日を背にするXウイングは『地獄の黙示録』のオマージュだと思われ、新共和国が「正義を掲げながら介入する組織」になるという意味合いだったのかと邪推してしまう。また、以前指摘した通り、マンダロリアンはユダヤ人に重ねて描写されている部分がある。シーズン3で故郷を取り戻したディン・ジャリンは、本作では新共和国の依頼を受け、管轄外の領域にいる帝国残党を追う存在になっている。そう考えると、故郷を奪還した後に世界各地の戦犯を追うディンの姿には、モサドによるナチス狩りを連想させる不穏さもある。
ウォード大佐は「次の戦争を防ぐため」「真の仲間は見捨てない」と語っていたが、その正義感は危うい。管轄外で人を逮捕したり、裏切った双子だけでなく(おそらく)その場にいたハットもまとめて爆殺したりするのは正義感の暴走ではないのか。もちろんウォード大佐は悪人ではなく反乱軍から正義のために戦い続けてきたベテラン戦士だ。だからこそ危うさにも接続される。
『マンダロリアン』シーズン3では、新共和国の再教育制度や帝国残党の影が描かれた。本作の新共和国描写は、その延長線上にあるのではないか。新共和国には、自由と秩序を掲げながら、その維持のために法や個人の自由を軽視し始めているようなきな臭さがある。『マンダロリアン』シーズン3で脇道に見えた新共和国描写は、本作を経ることで、むしろシリーズ全体を束ねるテーマとしても見えてくる。つまり本作は、親子の物語としては控えめだが、新共和国時代の秩序がどこへ向かうのかという点では、シリーズ全体のテーマを前に進めているはずだ。後から見返すと、本作の清々しいアトラクション映画という印象は変わるかもしれない。シリーズの一作としての立ち位置は今後の文脈においても要注目だ。
映画館への帰還としての成功と限界
本作『マンダロリアン・アンド・グローグー』は圧倒的な映像体験を誇る。『マンダロリアン』シリーズの魅力であるアクションを映画館向けにスケールアップし、ディン・ジャリンとグローグーの親子の魅力を新たな事件を通じて描いている。指摘してきたような映画としてのアークの粗はある。映画館に帰ってきたスター・ウォーズとしては神話性やテーマ性、人間同士の感情のぶつかり合いや、少し大げさなスペースメロドラマも控えめである。既存のファンにとっては、TVスペシャルを劇場向けに拡張したような作品であり、映像のスケールアップを除けば大きな挑戦は少なく見える。
本作は「父の後」に進もうとする者たちの映画でもある。ジャバの陰から逃れようとするロッタ。ディンに守られながら、少しずつ自分の意思で動き始めるグローグー。旧共和国と帝国の後を生きる新共和国。そして、スカイウォーカー・サーガの完結後に、再び映画館へ帰ってきたスター・ウォーズそのもの。
その意味で本作は、過去の大きな陰を完全に超える映画ではない。グローグーも、新共和国も、スター・ウォーズ映画そのものも、まだその陰を完全には超えられていない。唯一、ロッタだけが小さく一歩先に進んでいる。だからこそ本作は、物語としても進み切れない。しかし、次の物語へ進むための入口にはなっている。
本作は『マンダロリアン』、そしてスター・ウォーズの魅力を、映画館でゼロから提示しようとしている。既存作品とのつながりを過度に強調せず、オープニングクロールやライトセーバー、スカイウォーカー・サーガやジェダイに頼らずに、「新しいスター・ウォーズ映画」を提供している。これは新規ファンにとって、スター・ウォーズへの入り口となるかなり強力な映像アトラクションである。
ある意味、本作はスター・ウォーズ映画の「テコ入れ回」なのだ。配信シリーズに閉じた結果としてスター・ウォーズはかつてのような劇場映画としての存在感を失っていた。今、スター・ウォーズは既存ファンを満足させつつも、新規ファンを獲得し、再び大衆的なイベントになる必要に迫られている。本作において、ゼブの扱いは象徴的と言えよう。『反乱者たち』を知る観客には再登場の喜びがあり、知らない観客には単純に頼れる新共和国兵として機能する。本作はこうした「知っていれば嬉しいが、知らなくても通じる」接続を重視しうまくちりばめている。一本の映画としては物語の芯が弱くとも、スター・ウォーズ映画を再始動させる作品として、また『マンダロリアン』シリーズを新共和国時代の物語へ進める作品としては機能している。
スター・ウォーズという世界最大級のIPの中で、多くの実験的な作品や名作が生まれてきた。『最後のジェダイ』も、『キャシアン・アンドー』も『アコライト』も、その他の多くの作品もスター・ウォーズという大きな砂場の中だからこそ、多額の予算を獲得し、多くの目に触れることができた。『マンダロリアン・アンド・グローグー』の物語面に挑戦が少ないように見えたとしても、本作は今後さらに挑戦的な作品を作るための地ならしなのだ。ただし、地ならしはあくまで地ならしである。この先も安全なアトラクションだけが続くなら、スター・ウォーズ映画は小さくまとまってしまう。本作の価値は、この先にどれだけ挑戦的な作品を生み出せるかによって、後から決まるのかもしれない。
豆知識
ロッタ・ザ・ハットの再登場
ロッタ・ザ・ハットは、デイヴ・フィローニ監督によるアニメ映画『クローン・ウォーズ』で初登場した。同作は2008年に公開され、3Dアニメ版スター・ウォーズの出発点となった作品でもある。ジャバ・ザ・ハットの息子であるロッタは同作で「プクプクちゃん」というあだ名で呼ばれていた。また、この映画ではアナキン・スカイウォーカーのパダワンとしてアソーカ・タノも初登場している。
本作では後頭部にハット・カルテルの入れ墨が確認できる。
ゼブの再登場
氷の惑星でディン・ジャリンとグローグーを回収するのは、ガラゼブ・オレリオス、通称ゼブである。ゼブはアニメ『反乱者たち』で初登場した反乱軍のラサット種族の戦士であり、2023年配信の『マンダロリアン』シーズン3で実写初登場を果たし、新共和国に所属していることも明らかになっている。本作でも、アニメ版から引き続きスティーブ・ブラムが声を担当している。
また、ゼブとラサットのデザインはスター・ウォーズのコンセプトアートのチューバッカの原案から影響を受けている。
エンボの再登場
アニメ『クローン・ウォーズ』シーズン2第17話「七人の傭兵」で初登場したキューゾの賞金稼ぎエンボも再登場。劇中では、ディン・ジャリンから種族名である「キューゾ」と呼ばれていた。大きな円盤状の帽子を武器や盾のように使う独特の戦闘スタイルで知られ、『クローン・ウォーズ』時代には賞金稼ぎランキングで2位に君臨していた。
キューゾという種族名は、黒澤明監督の『七人の侍』に登場する久蔵に由来する。
ハットの双子の再登場
ハットの双子は、ジャバ・ザ・ハットのいとこである。彼らはドラマ『ボバ・フェット/The Book of Boba Fett』で初登場し、ジャバのかつての犯罪帝国をボバ・フェットが掌握した後、タトゥイーンから追い出されることとなった。シャーリー・ヘンダーソンとアンゼラン
『スカイウォーカーの夜明け』で初登場したアンゼランのドロイド職人バブ・フリックは嘆きのマートル役で有名なシャーリー・ヘンダーソンが日本語版を含め、20か国版以上で声を演じていた。本作でも4人のアンゼラン全員の声を担当している。
スノートルーパーの完全なヘルメット
帝国軍のスノートルーパーは『帝国の逆襲』にも登場していたが、実はこれまでヘルメットの全体像ははっきり描かれていなかった。同作では、下半分が白い布で覆われていたためである。『マンダロリアン・アンド・グローグー』では、ついに帝国軍スノートルーパーの完全なヘルメットデザインが確認できる。
帝国軍閥の指導者
映画冒頭に登場する帝国軍閥の指導者は、『マンダロリアン』シーズン3に登場したシャドウ・カウンシルの一員である。シャドウ・カウンシルは、帝国崩壊後も各地で暗躍する帝国残党の有力者たちによる会合として描かれていた。
INT-4とケナーの玩具
冒頭で帝国軍閥の指導者がAT-ATウォーカーから脱出する際に使用するINT-4は、1982年にケナーから発売された同名の玩具を基にしている。スター・ウォーズでは、過去の玩具デザインが後年の映像作品に取り入れられることがあるが、本作もその一例である。
カール・ウェザースへのオマージュ
デジャリック・アリーナへ続く入口の上には、「Weathers Apollo」という看板が掲げられている。これは『マンダロリアン』シリーズでグリーフ・カルガを演じた故カール・ウェザースへ敬意を示したイースターエッグである。カール・ウェザースは『ロッキー』シリーズでアポロ・クリードを演じたことでも有名だ。
マーティン・スコセッシ演じるヒューゴ・デュラント
マーティン・スコセッシがアルデニアン種族のヒューゴ・デュラントの声を演じてカメオ出演。
本作のジョン・ファヴロー監督は、2018年公開の『ハン・ソロ』でリオ・デュラントの声を担当していた。本作に登場するヒューゴ・デュラントは、リオ・デュラントと同じ苗字であり、監督曰く親戚である。
マッドホーンの卵
ヒューゴ・デュラントの屋台には、マッドホーンの卵が置かれている。マッドホーンの卵といえば、『マンダロリアン』シーズン1第2話「ザ・チャイルド」で重要な役割を果たしたアイテムである。同話では、ジャワたちから船の部品を取り戻すため、ディン・ジャリンがマッドホーンの卵を求められていた。
ファズボールの再登場
ソルト・バーの檻の中をよく見ると、ファズボールを見つけることができる。ファズボールは『スケルトン・クルー』第2話にも登場しており、もともとはディズニーパークで上映されていたSFミュージカル『キャプテンEO』に登場したキャラクターである。
デジャリック・ゲームの元ネタ
本作に登場するデジャリック・ゲームは、『新たなる希望』でミレニアム・ファルコン内に登場したホロチェスへのオマージュである。本作では、ゲーム内に登場していたクリーチャーたちが実在する獣であり、シャカリの闘技場で実際に戦っていることが示された。
ジャヌ卿の部屋に飾られたクリーチャー
ジャヌ卿の執務室の壁には、ネクスー、ヴェクシス、リーク、バーゲストなど、スター・ウォーズに登場してきたクリーチャーたちの姿を見ることができる。闘技場を支配する人物らしく、獰猛な生物たちを飾っているのが印象的だ。
ディン・ジャリンの決め台詞
ディン・ジャリンはジャヌ卿に対して、「生きたまま行くか、冷たくなって行くか」と告げる。これは『マンダロリアン』シーズン1第1話で初登場した、ディン・ジャリンの決め台詞ともいえる言葉である。
ユズムへの正史初言及
ディン・ジャリンは、コマンダー・コインについて「ユズムのように歌うだろう」と語る。これは、ユズムが正史で言及された初めての例である。ユズムは、1978年にアラン・ディーン・フォスターが執筆した小説『侵略の惑星』で初登場した、ウーキーに似た種族である。
アデルファイ基地のカメオ出演
アデルファイ基地にいる新共和国の新兵たちの中には、『マンダロリアン』の制作に関わってきた人物たちが紛れている。デイヴ・フィローニはトラッパー・ウルフとして再登場し、ルーカスフィルムのアート部門からはダグ・チャンとミシェル・ティーム、さらにエピソード監督を務めたデボラ・チョウ、リー・アイザック・チョン、リック・ファミュイワも姿を見せている。
Uウイングの登場
ゼブはUウイングでディン・ジャリンとグローグーを回収する。Uウイングは『ローグ・ワン』で初登場した機体で、反乱軍の兵員輸送や支援任務に使われた船として知られている。
BDユニット
アデルファイ基地では、BDユニットの姿も確認できる。BDユニットはゲーム『ジェダイ:フォールン・オーダー』で初登場した小型ドロイドであり、主人公カル・ケスティスの相棒BD-1によって一躍有名になった。
新共和国の指名手配カード
ディン・ジャリンは、ウォード大佐が持つカードに載っている悪党たちを全員始末すると約束する。スピンオフ書籍では、新共和国が指名手配中の帝国逃亡者を載せた76枚のサバック・カードを作成・流通させていたことが明かされている。これは現実世界で、イラク戦争中にアメリカ政府が高価値目標の追跡に用いた「Most-Wanted Iraqi Playing Cards」のオマージュである。
ドロイド・ゴトラ
ハットは警備としてドロイド・ゴトラを雇っている。ドロイド・ゴトラはドロイドの権利を支持する集団で、クローン大戦後に帝国から見捨てられた再利用バトル・ドロイドたちによって形成された。メンバーにはバトル・ドロイド、スーパー・バトル・ドロイド、タクティカル・ドロイド、K-2ユニットなど見覚えのあるドロイドが多数登場している。もともとはキャンセルされたゲーム『スター・ウォーズ:1313』に登場予定だったが、正史ではジェームズ・ルシーノの小説『ターキン』で初めて言及された。
ストップモーションの名匠フィル・ティペット
『ジェダイの帰還』などに参加したフィル・ティペットは、その後ティペット・スタジオを設立した。同スタジオのストップモーション・アニメーターたちは、『マンダロリアン』や『スケルトン・クルー』にも参加しており、本作ではハットの双子の宮殿を守る巨大ドロイドたちに命を吹き込んでいる。
アンソニー・ダニエルズの声
ナル・ハッタに着陸するディン・ジャリン、グローグー、ゼブへ許可を出す航空管制ドロイドの声は、長年C-3POを演じてきたアンソニー・ダニエルズが担当している。注意深く聞くと、おなじみの声を感じ取れるかもしれない。
メクネックへの言及
ゼブはディン・ジャリンに対し、「俺はメクネックじゃない」と語る。メクネックは『アコライト』で登場した職業で、オーシャが就いていた危険な知的生命体の船外作業員の仕事のこと。
「ダンク・ファリック」
ディン・ジャリンは劇中で「ダンク・ファリック(Dank Farrik)」という悪態をつく。この言葉は『マンダロリアン』で導入され、複数のキャラクターによって使われており、スター・ウォーズ独自の罵倒語として定着している表現である。
アマニの登場
ハットの双子は、ディン・ジャリンを追わせるためにアマニを差し向ける。アマニは平たい頭部を持つ爬虫類型種族で、もともとは『ジェダイの帰還』のジャバ宮殿のシーンで登場した。
レッド・ジャマー Yウイング
本作で使用された“レッド・ジャマー” Yウイングの模型は、ルーカスフィルムのアーカイブから借り出されたもの。もともとは『新たなる希望』のために制作され、実物大Yウイングの参考資料として使われた模型だったが、これまで画面上に登場したことはなかった。本作でついにスクリーンデビューを果たしたことになる。
ライトセーバー、「嫌な予感がする」が登場しない初の映画
『マンダロリアン・アンド・グローグー』は、スター・ウォーズ映画史上初めてライトセーバーが登場しない作品である。また、「嫌な予感がする」というおなじみの表現が、間接的にも登場しない初の映画でもある。
有名監督への謝辞
『フォースの覚醒』『スカイウォーカーの夜明け』を監督しバブ・フリックを生み出したJ.J.エイブラムス、ジャバを主人公にした映画を計画していたギレルモ・デル・トロ、『マンダロリアン』シリーズでIG-11およびIG-12の声を担当し、現在自らのスター・ウォーズ映画の制作に取り組んでいるタイカ・ワイティティが、本作のクレジットで謝辞を受けている。

















