開かれ続ける銀河への入口「スター・ツアーズ」――40年の歴史と、スター・ウォーズに参加するファンたち

特集

Xで共有 B! はてブ

スター・ウォーズの魅力とは、ルークやダース・ヴェイダーの物語だけではない。1977年公開の『スター・ウォーズ』に登場した宇宙には、強い生活感があった。ミレニアム・ファルコンは汚れ、傷つき、故障する。モス・アイズリーの酒場では主人公たちとは何の関係もない客が酒を飲み、映画の中では説明されない戦争や惑星の名前も当然のように現れる。そこには、カメラが向いていない場所でも誰かが働き、商売し、暮らしている感覚があった。ジョージ・ルーカス自身、未来を描く作品が新品で清潔なものばかりになることを嫌い、現実に使い込まれたような「used future」の感覚を求めていた[1]。

スター・ウォーズは一本の映画でありながら、その物語の外側にさらに大きな世界が存在すると想像させる作品だった。1987年、スター・ツアーズは、その銀河をスクリーンの向こうから現実の空間へ引き出した。スター・ウォーズの世界を「見る」だけではなく、その中に自分が存在していると感じさせるアトラクションだった。

しかも、その体験は1987年の一度きりでは終わらなかった。スター・ウォーズそのものが映画、ドラマ、アニメへと広がるにつれ、スター・ツアーズも行き先や登場人物を増やし続けた。そしてファンもまた、ただ乗客としてそれを受け取っただけではない。何度も乗り、背景を探し、違いを比較し、失われる体験を記録し、ときには公式のスター・ウォーズを作る側にまで加わっている。

本稿では、スター・ツアーズがどのように生まれ、いかにスター・ウォーズの拡大とともに変化してきたのかをたどる。そして約40年にわたって、ファンがこのアトラクションをどのように「体験」し、そこへどう参加してきたのかを考えてみたい。

物語の外を体験させるスター・ツアーズ

ジョージ・ルーカスは以前からディズニーランドに強い関心を持っていた。11歳だった1955年にはディズニーランドのオープン2日目に来園しており、後に、長い間テーマパークへ関わりたいと思っていたこと、とりわけトゥモローランドには「もっとできることがある」と感じていたと振り返っている。

一方のディズニーも1980年代、パークをより魅力的な場所にするため、新しい物語を求めていた。イマジニアのトニー・バクスターは、『ブラックホール』など当時のディズニー映画が十分な人気を得られていないことを問題視し、スティーヴン・スピルバーグやルーカスのような外部のクリエイターと組む必要があるとディズニー上層部へ訴えた。やがてディズニーとルーカスフィルムの協力関係が生まれ、同じ時期にはルーカスが『キャプテンEO』にも参加するなかで、スター・ウォーズをテーマパークへ持ち込む構想が進んでいった。

難しかったのは、映画として作られたスター・ウォーズを、どうテーマパークの体験へ変換するかだった。初期案の一つは、ゲストが途中で進路を選べる複雑なローラーコースターだった。しかし分岐を増やせば施設が巨大になり、すぐには実現できない。そんな中、イマジニアのランディ・ブライトが英国で、民間航空のパイロットや軍の訓練に使われていたRediffusionのフライトシミュレーターを視察する。映像と動きを組み合わせるその技術を試したイマジニアたちは、これならゲストをスター・ウォーズの中へ入れられると考えた。

当時のルーカスフィルム公式ファンクラブ誌『Bantha Tracks』#35で、バクスターはこの試みを、スター・ウォーズという「想像力豊かな神話を三次元へ拡張すること」と表現している。スクリーンの中で宇宙船が急降下するのを見るのではなく、自分の座席そのものが動く。ハイパースペースへ飛び込めば、その加速を身体で感じる。観客自身をスター・ウォーズの銀河へ飛び込ませるための技術だった。

問題は、その銀河でゲストに何をさせるかだった。戦闘へ向かうための軍事訓練を受ける案や、乗っているうちに観客自身がルークだと分かる案も検討された。しかし最終的に選ばれたのが、イマジニア側が考えた銀河の旅行会社だった。当初は「Cosmic Winds」と呼ばれたこの案について、ルーカスもより「ディズニーランドらしい」と考えたという。

こうしてスター・ツアーズのゲストは、英雄ではなく、宇宙旅行会社を利用する一人の乗客になった。現実の旅行と同じように宇宙港へ向かい、搭乗口で待ち、荷物をしまい、シートベルトを締めて目的地へ向かう。ゲストを一人の旅行客にしたことで、スター・ツアーズは主人公たちの物語だけでなく、その周囲に広がる銀河そのものを体験の対象にできた。

ただし、スター・ツアーズは銀河を旅するだけのアトラクションにもならなかった。ライド映像をめぐって、イマジニア側は『新たなる希望』のデス・スターへの攻撃を思わせるトレンチランを盛り込むことを望んだ。一方、映像を制作するILM側には、映画で一度作ったものと似た場面を再び作ることへの抵抗があった。バクスターは、スター・ウォーズ銀河へ来たゲストにとって、映画で夢見た瞬間を自分自身で体験することには意味があると主張した。意見が割れるなか、ルーカスもその考えを支持し、トレンチランはスター・ツアーズの大きな見せ場となった。
 
1987年のオープン式典🔗
ここには、スター・ツアーズが最初から持っていた二つの魅力が表れている。名もない旅行客としてスター・ウォーズの世界に入り、その銀河の一員になること。そして、映画で見たスター・ウォーズの瞬間を、自分自身の身体で経験すること。スター・ツアーズは、その両方を一つのアトラクションにしようとした。

映画の背景を歩き、銀河の一員になる

初代スター・ツアーズの舞台は、『ジェダイの帰還』の直後に置かれていた。イマジニアのトム・フィッツジェラルドは1987年のプレスキットで、スター・ツアーズを「スター・ウォーズ・サーガの続き」と説明している。後年のディズニー公式資料では、制作時に「エピソード6.5」と内部で呼ばれていたことも明かされた[2]。帝国が敗れ、旅行会社がツアーを運営できるほど銀河が安全になったことで、各地へのツアーが始まったという設定だった。

ここで描かれた「その後」は、ルークたちの新たな冒険ではない。反乱軍と帝国軍が激突したエンドアは、今度は一般の旅行客が訪れる旅行先になる。戦争を生き抜いたC-3POとR2-D2も、スター・ツアーズ社で働いている。英雄たちの勝利で映画が終わっても、その後には人々の生活が続いている。スター・ツアーズは、スター・ウォーズの歴史の続きを日常の側から見せた。
 
1989年東京オープン時の広告
1987年1月にカリフォルニアのディズニーランドで始まったスター・ツアーズは、その後、世界へ広がっていった。1989年7月には東京ディズニーランドに開業し、同年12月にはフロリダのDisney-MGM Studios、1992年にはユーロ・ディズニーランド(現ディズニーランド・パリ)へ進出した。スター・ウォーズの銀河を「旅行する」という体験は、現実世界の各地へ広がっていった。
 
銀河の日常にいるという感覚を強く作り出していたのが、ライドへ乗り込むまでの待機空間「キューライン」だった。ゲストはまずスタースピーダー3000が置かれたメンテナンス・ハンガーを通り、そこでC-3POやR2-D2が働く姿を見る。その先ではさまざまなドロイドが整備や修理を受け、さらに進むと搭乗コンコースにたどり着き、自分の便を待って宇宙船へ乗り込む。
 
1987年のキューライン
 東京ディズニーランドで発行された『Complete Guide to Star Tours』を見ると、この体験がライドの前後まで含めた一つの「旅行」として設計されていたことが分かる。フライト情報が流れ、各惑星の天候が案内され、荷物には行き先を示すタグが付く。アナウンスは英語や日本語だけでなくイウォーク語でも流れ、施設内ではマウス・ドロイドが走り回り、モン・カラマリ種族の職員が管制業務にあたる。ライドを降りたあとにも、手荷物受取所や検疫施設が設定されていた。映画なら背景に置かれるはずの交通、労働、荷物、天候といったものまで、ここではゲストの目の前に出てくる。
 
しかも、すべてを一度に見せる必要はなかった。同じ『Complete Guide』には「初めての乗客が見逃してしまうポイント」がまとめられ、フライト表示や荷物のラベルだけでなく、仕事への不満を漏らすドロイドや細かな表示、ゲストからほとんど見えない場所に巣を作るドロイドまで紹介されている。ガイド自身も、客の目には触れないような場所まで作り込むことがスター・ツアーズを特別にしていると説明していた。
 
Complete Guide to Star Tours
 重要なのは「自分が見ていない場所にも何かがある」と感じさせることである。スター・ウォーズが映画の中で、名前も知らない酒場の客や整備員、画面の奥にある宇宙船まで含めて銀河の広がりを想像させたように、スター・ツアーズもまた、ゲストが通り過ぎたあとにも宇宙港が営業を続けているように感じさせた。
 
映画ではアンソニー・ダニエルズが衣装を着て演じていたC-3POも、ここでは実際に機械として動くオーディオ=アニマトロニクスになった。制作にはダニエルズ本人も協力し、映画では見落とされがちな右脚の銀色の部分まで再現された。完成した姿を見たルーカスは、「これがC-3POだ。ついにドロイドになった」という発言を残している。映画の中にしか存在しなかったものを、実際に目の前へ置く。銀河は現実になる。

1987年のライドの様子🔗
そしてスタースピーダーへ乗り込むと、その銀河旅行はさらに身体的なものになる。ILMのデニス・ミューレンは、ゲストが見る映像について、実際には映画であっても「映画に見えてはいけない」と説明している。スクリーンは映画館のスクリーンではなく、宇宙船の前方にある「窓」でなければならない。映像では強いフラッシュや暗転に編集点を紛れ込ませ、数分間のフライトを一続きの出来事に見せた。
 
映像とシミュレーターの動きは同期する。宇宙船が落下すれば身体が揺れ、急旋回すれば座席ごと振られる。平凡な旅行客として出発したゲストは、レックスの操縦ミスから帝国軍との戦闘に巻き込まれ、Xウイングと並んで飛び、ついにはデス・スターのトレンチへ突入する。宇宙港で作られた銀河の日常と、映画で見たスター・ウォーズの冒険が、一つの旅行としてつながっていた。
 
1987年の開業時、その体験には長大な待機列ができた。『Bantha Tracks』によれば、列はトゥモローランドからメインストリートを抜け、正門の外、駐車場にまで伸びた。アトラクションは1時間あたり約1700人を乗せることができたが、それでも長い列が続き、ライドを終えたゲストが次の旅行のため再び列へ戻ろうとする様子まで伝えられている。
 
スター・ツアーズの細部は、一度の乗車ですべてを拾えるものではなかった。ファンが映画の背景に一瞬映った人物や小道具へ目を向けてきたのと同じように、このアトラクションには繰り返し訪れるたびに新しいものを見つけられる余地が最初から残されていた。
 
そして20年以上にわたり、ゲストを同じエンドア行きの旅へ送り続けたそのアトラクションは、スター・ウォーズそのものが再び広がり始めたことで、大きく姿を変えることになる。

『アドベンチャーズ・コンティニュー』の選択

スター・ツアーズは、最初から同じ旅を永遠に続けるために作られたわけではなかった。1987年の開業時、ジョージ・ルーカスはスター・ツアーズについて「reprogrammable」、すなわち後からプログラムを書き換えられることを大きな特徴として挙げている。通常の機械式アトラクションよりソフトウェアへの依存度が高いため、将来的に内容を変更・改良し、さらには別のものへ変えることもできると考えていた。

制作側にも別の旅を追加する構想はあったが、その更新はなかなか実現しなかった。理由の一つは、皮肉にも初代スター・ツアーズが成功し続けていたことだった。新しいスター・ウォーズ映画が長く作られなかったことや、ディズニー側にも別の優先事項があったことが重なり、好調なアトラクションを更新する優先度は高くならなかった。「変えられる」ように作られながら、新作映画の不在やディズニー側の優先順位、そして初代自身の成功によって、同じエンドア旅行は20年以上続くことになった。

状況を変えたのは、スター・ウォーズそのものの復活だった。1999年に『ファントム・メナス』が公開されると、ポッドレースを中心とする新しいスター・ツアーズが実際に検討され、ジョージ・ルーカスとともに新版の構想まで作られていたという。しかし制作陣は、続くエピソード2、さらにエピソード3には何が登場するのかを見極めようと更新を待った。新作が作られるたびに、アトラクションで体験してみたい場所は増えていった。

そこで発想そのものが変わった。なぜ、一つだけを選ばなければならないのか。
 
『アドベンチャーズ・コンティニュー』のポスター
 初代スター・ツアーズは、エンドアへ向けて出発し、進路を間違え、彗星へ飛び込み、帝国軍との戦闘を経て帰還する一本の映像だった。しかしデジタル技術を使えば、複数の物語を用意し、その中から毎回違うシーンを組み合わせることができる。フィッツジェラルドは、一つのショーを何度も見るうちにゲストが展開を覚えてしまうことを懸念し、「なぜ一つのショーでなければならないのか」と考えたと振り返っている[3]。こうして『スター・ツアーズ:ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー』では、出発、最初の目的地、通信、次の目的地と物語をいくつかに分け、それぞれに複数の映像を用意した。2011年の開業時点で、その組み合わせは54通りに達した。

『アドベンチャーズ・コンティニュー』も徐々に世界へ広がった。2011年5月にフロリダ、6月にカリフォルニアで開業し、東京は2013年5月、パリは2017年3月にリニューアルされた。新版が4つのパークへ行き渡るまでには約6年を要し、その間、2016年にパリの初代が運行を終えるまでの約5年間は、世界の別々の場所に旧版と新版が共存していた。

この切り替えの背景には、テーマパークを訪れるゲストの変化もあった。年間パスポートを持ち、同じパークへ何度も訪れるゲストが増えるなか、フィッツジェラルドは、アトラクションをできるだけ「surprising」なものに保つ必要があったと振り返っている。一本の映像なら何度も乗れば展開を覚えてしまう。しかし次にどの惑星へ行くのか分からなければ、繰り返し乗ること自体に新しい意味が生まれる。

ジョージ・ルーカスも新版の物語作りに深く関わった。当初は新しいパイロット・ドロイド「ACE-38」が考案されていたが、ルーカスはもっと神経質でコミカルなパイロットを求めた。そこで制作陣がたどり着いたのがC-3POだった。本来パイロットではないC-3POが偶然操縦席に取り残され、そのままスタースピーダーが出発してしまう。さらにルーカスが考えたのが、乗客の一人を「反乱軍のスパイ」にする仕掛けだった。実際に乗っているゲストの顔がモニターに映し出され、スター・ウォーズの登場人物から名指しされる。ルーカスはゲストへ水をかける演出まで提案し、画面から飛んでくるスパナについても、もっと大きくするよう求めたという。スクリーンの中で起きていることを、できるだけ客席側へ近づけようとしていた。
 
『アドベンチャーズ・コンティニュー』のキューライン
一方で、制作陣は初代をすべて捨てようとはしなかった。フィッツジェラルドは旧スター・ツアーズの「DNA」を残すことを重視し、キューラインの最初の区画は以前の記憶を残しながら、奥へ進むにつれて大きく変化したことが分かる構成とした[3]。現実の空港も1987年から変化していた。手荷物検査やセキュリティチェックが航空旅行の日常になったことで、新版では荷物のスキャンや乗客の検査といった仕組みも、ドロイドが働く宇宙港へ取り込まれた。フィッツジェラルド自身、初代から最も変化したものの一つとして「airport security」を挙げている[3]。初代が1980年代の空港をスター・ウォーズ化したように、新版はその時代の旅行を再び銀河へ持ち込んだのである。

レックスも姿を消したわけではない。RX-24は新しいキューラインで、故障した旧型ドロイドとして工場へ送り返される姿を見せていた。そして後にはテーマランド『Star Wars: Galaxy's Edge』で、DJ R-3Xとして復活する。かつてスタースピーダー3000を操縦したドロイドが、その後の人生を銀河の中で歩んでいることになった。古くなった設定を捨てるのではなく、それ自体を銀河の過去へ変えてしまうのも、スター・ウォーズらしい広がり方だった。

ただ、初代と新版では体験の重心が少し違う。新版にも当初は、『シスの復讐』と『新たなる希望』の間という大まかな時代設定が置かれていた。しかし実際のアトラクションでは、ホスへ行けばAT-ATとスノースピーダーが戦う「ホスの戦い」を体験し、タトゥイーンではポッドレースへ巻き込まれる。制作側もホスの時系列上の矛盾を認識しており、当初は戦闘そのものを避ける案もあったが、最終的にはゲストに映画で見た「ホスの戦い」を別の視点から体験させることが優先された[4]。

ルーカス自身も、スター・ツアーズを「Greatest Hits Attraction」と呼んだことがある[5]。 一つの時代に厳密に収まること以上に、スター・ウォーズを代表する場所や出来事を身体で体験する。その発想は、新版の方向性をよく表している。

初代のように、一つの時代を旅行している感覚は薄くなった。その代わり、スター・ツアーズは、スター・ウォーズがこれからどこまで広がっても受け入れられる器を手に入れた。フィッツジェラルド自身、将来スター・ウォーズがどこへ進んでも新しい内容を追加できるよう、システムは更新可能なものとして設計されていると語っている[3]。
 
『アドベンチャーズ・コンティニュー』2024年追加コンテンツ
そして実際、その器には新しいスター・ウォーズが次々と加えられていった。2015年には米国版へ『フォースの覚醒』のジャクーが追加され、東京でも翌2016年に同作のシーンが導入された。2017年には『最後のジェダイ』のクレイトなどが加わり、2019年には『スカイウォーカーの夜明け』公開に合わせてケフ・バーを含む新要素が世界4パークへ追加された。さらに2024年には、米国の2パークとパリへ『アソーカ』『キャシアン・アンドー』『マンダロリアン』の人物や舞台が加わり、組み合わせは250通り以上へ拡大した。東京でも2025年4月に同じ新要素が導入されている。

2011年のリニューアル以降も、スター・ツアーズは新しいスター・ウォーズを取り込みながら変化を続けている。

乗る、探す、記録するファン文化

初代のスター・ツアーズは、ゲストをスター・ウォーズの世界へ参加させるアトラクションだった。そして新版の『ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー』では、一部のファンが文字通りその世界の住人になった。

新版の制作には、スター・ウォーズのコスチュームを制作して活動してきた501st LegionやRebel Legionのメンバーが参加した[6]。キューラインでは、大きな窓の向こうをストームトルーパーや帝国軍人、一般市民が行き交う。その撮影には501st LegionのSouthern California Garrisonが協力し、メンバーたちが宇宙港を歩くストームトルーパーなどを演じた。一方、Rebel Legionのメンバーはライド本編にも参加し、ホスではスノースピーダー・パイロットとして登場している。映画の背景にいる人物を自分たちの手で再現してきたファンが、今度は公式のスター・ウォーズの背景へ入ったのである。キューラインでは銀河を行き交う名もない住人となり、ライドでは映画さながらの戦いに参加する。スター・ツアーズがゲストに与えてきた二つの体験を、ファン自身が制作する側から体現することになった。こうしたファンと公式の交差は、スター・ツアーズだけに見られるものではない。カスタムライトセーバー文化でも、ファンが蓄積してきた技術や制作物が公式のスター・ウォーズへ持ち込まれてきた。本サイトでは、その歴史についても別の記事で詳しく取り上げている。

もちろん、このように公式制作へ参加できるファンはごく一部である。しかし、スター・ツアーズへ能動的に関わる方法はそれだけではない。多くのファンは、この世界を見つめ、調べ、記録することでスター・ツアーズに関わってきた。その文化は、『アドベンチャーズ・コンティニュー』以前から存在していた。
 
EndorExpress.net 🔗
英語圏のファンサイトEndorExpress.netは、2002年にGeocities上の個人サイト「VLPS' Star Tours Page」として始まった[8]。創設者のKris Van de Sandeが惹かれたのは、スター・ウォーズに存在する無数の英雄や惑星ではなく、銀河の片隅で営業している小さな旅行会社だった。

その後サイトには、スター・ツアーズの写真や音声、資料、制作関係者へのインタビューが蓄積されていった。スタッフのKit Molaisonは、2000年にスター・ツアーズへ乗ったあと、もう一度体験したくてもYouTubeさえ存在しなかったため、手元の音声やスクリーンショット、自分の記憶を頼りにライド全体をFlashアニメーションで再現している。映画なら、もう一度再生すればいい。しかしテーマパークの体験は、その場所へ行かなければ同じようには再生できない。しかもスター・ツアーズは更新される。

『アドベンチャーズ・コンティニュー』が登場すると、1987年から続いた初代スター・ツアーズは各地で姿を消していった。2010年、フロリダで初代の運行が終了する際には、Star Wars Celebration Vに合わせて「Last Tour to Endor」という送別イベントも開催された[8]。2016年には、世界で最後まで初代を運行していたディズニーランド・パリも終了し、EndorExpressのスタッフは現地を訪れ、キューラインから搭乗、ライドまでを記録した。同サイトの現地レポートによれば、最後の夜にはレックスが「おそらく皆さんにとって最後のフライト……私にとっても」という趣旨を告げる特別なアナウンスも流されたという[9]。テーマパークでは、改装されれば以前そこにあった空間そのものがなくなる。初代スター・ツアーズには、『ジェダイの帰還』直後という明確な時代設定があり、その一つの時代を旅する体験は、現在では実際に乗ることはできない。だから写真、動画、音声、ウェブサイト、ガイドといったファンの記録が、失われたスター・ツアーズを後から知るための資料になっていった。

『アドベンチャーズ・コンティニュー』では、記録には別の意味も加わった。物語がランダム化されたことで、一度の乗車では全体を見ることができない。出発時に誰と遭遇するのか、どの惑星へ向かうのか、誰から通信が入るのか、最後にどこへたどり着くのか。そのたびに違う。さらに、一見同じシーンにも細かな差がある。

日本で制作され、筆者も設定監修で一部参加した同人誌『スター・ツアーズ・クロニクル』では、出発時のアナウンスやC-3POのセリフ、画面の奥に映る機体などからパターンを判別し、それぞれの違いを記録している。「ホスが出た」「ダース・ヴェイダーが出た」だけではなく、一見同じに見える場面の中にまで差異を探していく。英語圏でも、よく似た行為が生まれている。ファン制作の「Star Tours Destinations Guide」は、各シーンのバリエーションを独自に分類し、印刷版には体験した場面をチェックする欄と「Flight Log」まで用意している。いつ乗り、どの組み合わせを体験したのかを、自分の旅行履歴として記録するためのものだ。離れた場所のファンが同じアトラクションを前にして、探し、比較し、分類し、記録するという似た行動へたどり着いている。

一度では全体を見ることのできないスター・ツアーズでは、乗車そのものが一種の情報収集になる。まだ見ていない場面を探し、前回との違いを確認し、誰かの体験と比較する。初代では失われていく一つの体験を「保存する」意味が大きかったのに対し、新版では膨大な組み合わせを「集め、整理する」ことも加わった。

さらに複雑なのが、スター・ツアーズそのものを銀河のどこに位置づけるのかという問題だった。初代にも設定上の曖昧さはあったが、少なくとも制作時には『ジェダイの帰還』直後という軸があり、一つの時代を生きる旅行会社として作られていた。新版にも当初は『シスの復讐』と『新たなる希望』の間という時代設定が置かれたが、実際にはホスの戦いとポッドレースを同じアトラクションへ取り込み、その後もシークエルや『マンダロリアン』、『アソーカ』など、異なる時代のスター・ウォーズを加え続けた。

さらに2014年には、スター・ウォーズ全体でそれまでの設定群を「レジェンズ」とする再編も行われた。これはいつの出来事なのか。どこまでを正史として考えられるのか。旧版と新版はどうつながるのか。同じアトラクションに存在する異なる時代を、どう整理すればいいのか。スター・ツアーズは、その答えを一つに決めてくれない。だからファンは、公式が提示した断片を拾い、自分たちで並べ、どの時代の何が、どのバージョンに存在したのかを記録し、その位置づけまで考える。それもまた、スター・ツアーズへの参加の一つと言えるのではないだろうか。

スタースピーダーに乗って身体で感じることだけが「参加」ではない。宇宙港の背景を覗き、まだ見ていないシーンを探し、失われる体験を保存し、断片化した設定を整理し、それが銀河のどこに位置するのかを考える。さらにファンは、スター・ツアーズそのものを題材にした作品を作り、スタースピーダー3000を再現し、ときには501st LegionやRebel Legionの活動を通じて公式制作へ戻っていく。スター・ツアーズをめぐって生まれたのは、完成したアトラクションをただ受け取るだけの文化ではなかった。

スター・ツアーズが銀河を広げるほど、ファンはその中へ入り、探し、記録し、解釈する。そして時には、自らその世界を作る側にも回る。銀河の背景を覗き、その細部を記録してきたファンは、やがてその世界を残し、作り、さらには自らその背景の一部にもなっていった。

おわりに 銀河への入口は、今も開いている

1987年に開業したスター・ツアーズが切り開いた「スター・ウォーズの中へ入る」という体験は、その後さらに広がっていった。2019年にディズニーランドとウォルト・ディズニー・ワールドに開業したテーマランド『Star Wars: Galaxy's Edge』では銀河の街そのものを歩き、『Millennium Falcon: Smugglers Run』では<ミレニアム・ファルコン>を自ら操縦するクルーの一員になる。スター・ツアーズが始めた体験は、より大きな空間と役割へ発展していった。

それでも、スター・ツアーズが過去のものになったわけではない。新しい映画やドラマから人物や惑星を取り込みながら、約40年前にルーカスが語った「reprogrammable」という構想を今も実現し続けている。2025年には東京版にも『アソーカ』、『キャシアン・アンドー』、『マンダロリアン』の新要素が加わった。『Galaxy's Edge』のない日本では、東京ディズニーランドのスター・ツアーズは今も、スター・ウォーズの銀河へ身体ごと入ることのできる入口であり続けている。

2026年4月のイベントの様子🔗
そもそもスター・ウォーズは、英雄たちの物語の外にも誰かが働き、移動し、商売し、暮らしているように感じられる世界だった。スター・ツアーズは、その実在感を最も直接的に体験へ変えた場所の一つである。スクリーンの向こうにも世界が続いていると想像するだけではなく、その世界へ自分自身が入り込む。スター・ツアーズが約40年にわたって開き続けてきたのは、そんなスター・ウォーズの銀河への入口だった。そして、その入口は今もそこにある。入り、探し、記録し、ときには自ら作る側へ回る。そのあり方は、ファンの参加によって育ってきたスター・ウォーズの文化とも重なる。だからこそ、この約40年にわたる「銀河を体験する」という歴史は、スター・ウォーズのファン文化を語るうえで欠かせない。 
 


筆者:ジェイK(@StarWarsRenmei)

参考文献・資料
・1987年『Star Tours Video Press Kit』、Walt Disney Productions / Lucasfilm
・1987年『Bantha Tracks』#35、Official Star Wars Fan Club
・1989年『Complete Guide to Star Tours』、東京ディズニーランド
・2008年『Star Wars Insider』#104
・2011年『Star Wars Insider』#127
・2021年『ディズニーパークの裏側』シーズン1第3話「Star Tours」、Disney+
・2024年『Star Tours Destinations Guide』v1.3、https://startours.themeparkgaming.com/
・2025年『スター・ツアーズ・クロニクル』、銀河旅行通信

[1]1977年『American Cinematographer』
[2]2011年『Disney Files Magazine Summer 2011』
[3]2011年「Tom Fitzgerald: Creative Director」、https://www.endorexpress.net/star-wars-adventures/star-tours-2/creating-star-tours-2/2011/06/exclusive-interview-with-tom-fitzgerald/
[4]2012年「Glen McIntosh: Animation Director」、https://www.endorexpress.net/star-wars-adventures/star-tours-2/creating-star-tours-2/2012/11/glen-mcintosh-animating-star-tours/
[5]2024年「Behind the Scenes of the Latest Star Tours - The Adventures Continue Update」、https://www.starwars.com/news/star-tours
[6]2014年「How the 501st and Rebel Legions Became Part of Star Tours」、https://www.starwars.com/news/how-the-501st-and-rebel-legions-became-part-of-star-tours
[7]「EndorExpress About」、https://www.endorexpress.net/about-us/  
[8]2010年「Last Tour to Endor!!」https://www.endorexpress.net/star-wars-adventures/star-tours/2010/05/last-tour-to-endor/  
[9]2016年「Final boarding call for the Endor Express」、https://www.endorexpress.net/star-wars-adventures/star-tours/riding-star-tours/2016/03/final-boarding-call-for-the-endor-express/ 

サムネイル  https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tokyo_Disneyland_Star_Tours_The_Adventures_Continue_(53441952293).jpg

記事を探す

筆者

ジェイK
プリクエル三部作~『クローン・ウォーズ』直撃世代。多くの人を動かし、時代とともに形を変え続ける“現代の神話”としてのスター・ウォーズに魅入られ、映画・ドラマから小説、レジェンズ、制作背景、ファン文化まで幅広く追い、記事を執筆しています。Xでは最新情報を日々発信中。